唐突に変な記事タイトルで恐縮です。
昨夜、1月3日の日に放送をされた『君の名は。』を録画しておいたので観た次第でして。
感動の余り今回の記事タイトルになった訳ではありません。
勿論、作品自体は想像していた以上に素晴らしい作品で、空前の大ヒットになった理由も納得出来ました。
しかしレビュー記事を書くつもりではなく、主人公の二人が運命を変える内容を観て、私の唯一と言っていい不思議な体験を思い出し、変な共感を感じたので今回の記事タイトルになりました。
『君の名は。』を観て過去の不思議な出来事を思い出した
最初にお断りをしておきますが、カルト的な事には余り興味はありません。
また私の不思議な体験は、偶然だったのかもしれませんが実際に起きた出来事です。
『君の名は。』においては、彼ら彼女達は運命を変える事が出来ましたが、私には運命を変える事は出来ませんでした。
結論から言いますと、私は過去に知り合いの方に面と向かって、『貴方がこれから痛い思いをするように思う』と突然言われた事があります。
は!? 何を言ってるの? と思いましたが、その方は口数が少ない方でしたし、真顔で言われたので自身でも気を付けなければと受け止めた事を記憶しています。
しかし結局私は、痛い思いをその1時間も経たない内に経験をする事になります。 交通事故という形で…。
面と向かって忠告を受けていたにも関わらず、私には交通事故を避ける事が出来ませんでした。
街道が十字路になる交差点の入り口で、黄色信号で侵入した私のバイクは、赤信号で信号無視をした車に衝突されてしまったのです。
忠告されていたのだから、黄色信号で侵入することも無いのに…。
今ならそう思えるのですが、黄色信号で交差点に侵入した時は、恐らく忠告の言葉は薄れていたと記憶しています。
ぶつかった直後に空中に自分が舞った事が解り、やっぱり起きてしまったと空中に舞った一瞬に悔やんだ事も憶えています。
その時の一瞬の記憶が、『君の名は。』の主人公の二人がお互いの名前を忘れてしまうシーンで蘇ったのです。
彼らは幸いにも、お互いの名前を忘れても、肝心の運命を変える事は出来ましたが、私は忠告の通り痛い思いをしました。
しかし事故後のバイクを後日見て感じた事は、あの忠告がなかったら私は恐らく命を失っていたと思いました。
バイクは大破しており、右手のアクセルはもぎ取れていました。
バイクの状態だけを見たら、このバイクに乗っていた人は無事ではないのではと思える位の酷い状態でしたし。
そういった意味では、痛いだけで済んだのは忠告があったからこそ、今も生きているのかもしれません。
私の忠告は偶然だったのかもしれませんが、事故が起こる直前の信号待ちの時にも嫌な胸騒ぎがありました。
サイドミラーで自分を見ると、首元が信じられない位に赤く紅潮していた事も記憶しています。
恐らくその首元の紅潮は最後の警告だったのかもしれません。
それなのに私は黄色信号で交差点に侵入し、事故に遭う事になります。
バイクは大破したものの、奇跡的に怪我は右膝と股間の打撲程度で済んだのも忠告があったからだと感謝しています。
まさか映画を観て、思い出したくもない痛い過去を思い出す事になるとは夢にも思いませんでした。
まとめ
『君の名は。』に触れて起きながら、余り映画とは関係の無い自身のツマラナイ過去を持ち出してしまい、面白く無い話だったかもしれません。
私が『君の名は。』を観てお互いの名前を忘れない為に、掌にペンで書くまでする描写が自身の体験をした、忠告されて肝に銘じていたにも関わらずその思いが一瞬薄れた瞬間に事が起きた事が、新海監督の表現されたかったお気持ちを少し理解出来た感覚になりましたので、今回のブログの内容になりました。
解っていても、気を付けていても避けられない、それこそが運命なのかななんて思ってしまった新年でした。