昨日、録画をしていた番組を観終わって感動が蘇りました。
番組名は『あの日 あのとき あの番組 シリーズ ニッポンのパイオニア 第1回「野茂英雄」』です。
そうです、あの『野茂英雄』投手のメジャーリーグに挑戦された1年目に放送されたNHK特集のアーカイブ番組です。
『野茂英雄』投手の活躍をリアルタイムに観る事が出来た幸運を改めて感じ、また時間の経過の早さを実感させられました。
番組を通して『野茂英雄』投手の生き様を改めて感じましたので、自身の感じた事を呟きます。
野茂のメジャー挑戦から22年も経過していたとは
近年TVは殆ど観なくなり、リアルタイムに観る事は全くなくなりました。
そんな中、気になる番組がありましたので録画をしていたのが、『あの日 あのとき あの番組 シリーズ ニッポンのパイオニア 第1回「野茂英雄」』です。
私は余り人に惚れ込んだりする事は無いのですが、『野茂英雄』投手は憧れや尊敬が入り交じる方です。
野球選手としては投手と野手の違いはあれど、イチロー選手の方が偉大なのかもしれませんが、人としての魅力は野茂投手に軍配があります。 私の中では!
パイオニアと言うか先駆者になられた方は、どんな分野においても偉大です。
メジャーリーグの場合は野茂投手の遥か前に、メジャーに挑戦をされた村上投手がおりましたが、道筋を創られた意味では野茂投手が先駆者で異論は無いはず。
その後に多くの選手達が続いた事をみても明らかですね。
その野茂投手がメジャーに挑戦されたのが1995年だそうで、今から22年も前になるそうです!
つい最近とは言わないけど、22年も経過していたとは思ってもみませんでした。
野茂投手の偉大なところは記録以上に己を貫き通す強さ
番組を観て改めて野茂投手に感じた事は、己を貫き通す強さ!
野茂投手がメジャーに挑戦した経緯は色々あったにせよ、前年にメジャーリーグは選手会のストをしていた状況での挑戦で相当の決断があったはずです。
野茂投手は既に妻子持ちでしたし、当時ではまだ少ない1億円プレーヤーでその地位を捨てて、前年ストをしたばかりの不安定なメジャーに挑戦するのは相当の勇気がないと出来ないです。
それを考えると野茂投手は本当に勇気があり、自分に真っ直ぐな方なのでしょうね。
子供の頃に夢見た事を、生業に出来る人は本当に極僅かで、1億円プレーヤーにまで上り詰めても更に上を目指すところが野茂投手の人としての大きさ!
野茂投手同様に才能に溢れた選手は他にもいますが、○○投手、○○選手のようにどの球団でなければ嫌といった小さな事とは真逆な方。
野茂投手は人としての器が大きいからこそ、数々の偉大な記録を築けたのかな、そんな風に感じました。
番組でも野茂投手が当時の近鉄に入団する際の条件が、『投球フォーム』をイジらない事を挙げられたそうです。
野茂投手らしい、自身に対する拘りを強く感じます。
偉大な選手は形にハマっていない
野茂投手:トルネード投法
イチロー選手:振り子打法(今はそうでもないですが)
王選手:一本足打法
お三方の共通点は自らのスタイルを貫いています。
そこにモノマネは全く存在していません。
ボクシングの元世界チャンピオンの浜田剛史選手は子供の頃、野球の王選手に憧れて自らの意志で左利きに替えた話は有名ですが、偉大な功績を残す方は強い拘りを感じます。
番組を通して感じた事
私が野茂投手に憧れや尊敬の念を抱くのは、彼の偉大な功績よりも野茂投手の己を貫き通す勇気に感銘を受けており、人としての器の大きさを改めて感じました。
番組の最後に、来年メジャーに挑戦される大谷選手の事に触れていましたが、大谷選手も強い信念を持った方ですよね。
投手として超一流でありながら、バッターとしても自身を追求されています。
ご自身が拘ってらっしゃる二刀流を貫き通して、怪我を悪化させずに頑張って欲しいです。
今回、野茂投手の事を検索していましたら、息子さんが日ハムで通訳をされてらっしゃる事を知りました。
野茂投手がメジャーリーグに挑戦をされた時はまだ息子さんは幼かったそうです。
時間の経過を本当に感じます。
あの日 あのとき あの番組 シリーズ ニッポンのパイオニア 第1回「野茂英雄」
この番組は3回に渡って放送されるようで、1回目が野茂投手。
次回は映画の黒澤明監督。
三回目が本田技研工業の創業者の本田宗一郎氏です。
子供の多感な時期に、こういった強い信念を持ってらっしゃる方を知った事で、人生の指針が見えた時って無かったですか!?
ご興味のある方は、是非ご覧下さい。